どういうことだ説明しろ蟹木!

メンタルダウン療養記

ダウンする日

昨日一日は珍しく出歩いた。

いけるじゃ~ん!と思ったが今日は起きた瞬間に あ、ダメだ と思った。

1日活動すると、翌1~2日は動くことが出来ない。それが私の今のコンディション。

 

 

仕方がないので大半の時間を寝転がって過ごした。

マンガでも読み返そうと思い、「平和の国の島崎へ」の続刊を電子で買った。

ここでも読めるらしい。面白いよ。

yanmaga.jp

 

島崎、幸せになってくれ頼む…と思わずにはいられない。

色々あって島崎の境遇には思うところがある。

作者はどんな方なんだろう。

悪夢にコロニーのみんながうなされるシーンがリアルだなと思った。

島崎の話はマンガだけど、現実世界について、自らを顧みずに戦った優しくて強い人が、孤独に苦しむ世界ならクソくらえと日ごろから思う。

 

島崎やリアルの島崎的な人たちの抱える過去、地獄、それに比べてパワハラごときで適応障害になっている私はなんて生ぬるいんだろうと思う。また出たよ土星山羊座と水星天秤座の悪い面。

人には人の地獄があるというけれど、例えばICUにいる重篤コロナ患者の前で「鼻炎が長引いてマジ地獄っすよ~」と言うのは多くの人が憚られることだろう。そんな感じ。

かといって私が島崎の境遇であれば、地獄の窯を見る前に多分飛行機の中ですでに死んでいるとは思う。弱すぎて。

 

とはいえ、例えば友達がパワハラに遭っていて、状態異常が起こっていたら引っ張ってでも休ませるとは思う。その地獄は自分が経験したことがあって、相手は許されるべきでないと思うから。島崎とは規模も質も違うけど、私の見た地獄はエンカウントせずに人生を全うできるならそれに越したことはないと思う。

 

他人が私の立場だったら助けると思うけど、なぜか自分だと鞭をふるったり無視したりしてしまう。

鬼残業をしていた時も、パワハラで周囲の信頼関係が瓦解した時も、どんどん坂を転げるように体調が悪化していった時も、休職を進められた時も。私は私をギリギリまで救えなかった。あ、もうこれ以上無理だ…と思うのが遅すぎる。

あたしってほんとバカ、というミームがよく似合う。

 

 

SAN値の高い友人が、「周囲に期待しすぎないほうが楽だよ」と言っていた。

言わんとすることはよくわかる。わかるけど、期待されない状況ってとっても残酷じゃないだろうかとも思うのだ。私は社会とのつながりを、「期待されること」「それに応えること」に変換しているのかもしれない。可能性を信じて見守りたいし、見守られたい。だから今の私があるのも確かだ。存在しているだけでいいなんて、他人には思えるけど、私自身には向けることが出来ない。

なんでだろうとずっと考えている。自分が改善していける、もっとよくなれる、そう信じるためには、今の自分はダメだと思わないといけないからだろうか。

前からそんな感じだったと思うけど、適応障害になってからはその面が色濃くなった。前がどの程度だったかなんてもう思い出せない。

 

 

役員が、「あなたには何も期待していません」と言っていた。

こいつ本当に私の地雷踏むの得意だなと思って聞いていた。

取って付けたように、「あなたの異動は他部署からうらやましがられたものですよ」とかも言っていた。優秀に見えていたなら、それは辛抱強く見守り育てた前の組織のおかげですよ。弊社くんは、管理職の抜擢と育成がヘタすぎると思う。

「適材適所を売り上げのために考えることが我々の仕事」と言った口で、「あなたならこの意味わかりますよね」とも。7年うつを再発させず育ててきた組織と、たった1年でそいつをつぶした組織と、どっちが適材適所が上手かは言うまでもなくない?それとも適材適所って、その時の時流を乗り切るために配置する使い捨てのコマのこと?

 

 

他の役員は、私が復職したら子会社出向することを匂わせた。

向こうの役員が人材不足で困っているところに恩を売りたいし、私の上司から今の部には適性なしと聞いたんだろうなーと思う。

環境やかかわる人の変化で、私自身も変化してきたけど、以前は優秀と思われていて、今はお荷物だと思われている。永田さんの人生クイズの言葉を借りれば、「人の評価って適当だ」ということだ。

過去にパワハラ上司から高く評価をされていたことだって、彼の方針に従った私の罪を濃くする証拠の一つでしかない。今となっては恥エピソードでしかない。

何で読んだんだっけ。他人の評価に自分の価値を委ねていたらダメだと。兵長もそう思う。

 

周囲がパワハラ上司は変だとかなり初期から思っていたと後から聞いた。私が洗脳されていそうで怖かったとも。戻ってきてくれてよかったとも。

私からパワハラ上司への第一印象は、「自信家で変わった人だな」というくらい。他人の価値観を頭ごなしに否定することはしたくなかった。ハイブランドの話も実績自慢もまるで興味のない分野だったが、だからこそ「すごいですねえ」と感想を述べるのに嘘も違和感もなかった。周囲は自慢ばかりの上司がすでに煙たかったらしい。

他人の価値観が自分と違うからと言って否定することや、可能性を信じないことは、どうしてもしたくないことの一つだ。そいつが他人を踏み躙る人外だと万一判明したら即シャッターを下ろすけど、初対面でそこまでは中々気づけない。

中学生の時、雑談の中で担任が、「蟹木はいつか騙されそうだな」と言っていた。預言者すぎ。

 

 

なんで他人の価値観を否定したくないと思うようになったんだろう。

あまりきっかけが思い当たらない。

自分がdisられることが多かったからだろうか。