どういうことだ説明しろ蟹木!

メンタルダウン療養記

バッドステータス

「あなたには何ができるんだろうね」

これは休職面談で上司に言われた言葉である。

こっちが聞きたいと思った。

 

 

適応障害と診断されてから数か月は別部署に異動して業務を続けていたが、心身共に限界が来た。ついに休むことになったのだが、その面談で言われたのがこれである。

元気な時なら禪院直哉くんよろしく人の心とかないんか、というところだが、本当に弊社の中に私のやれる(やりたい)業務はなかったので特に反論もせず「なにができるんでしょうね…」と返した。事実なので瞬間的には全く傷つかなかったが、あとからじわじわ心にきた。

 

別に上司を糾弾する気も庇う気もないが、適応障害はじめメンタルダウンとは厄介なもので、生きてるだけでめちゃくちゃにHPとMPを消耗する病気だ。内臓がどこも悪くないのに布団から出られず寝たきりだ。

そんな状態の相手に無能宣告をするのは、冷酷という可能性もなくはないが、まあメンタルダウンについて知らないんだろうなーというところだ。弊社は古い会社で、先輩からは「メンタルダウンした人はどんなに優秀でも出世の道は断たれる風土だ」と聞いた。必然的にメンタルダウンの観点では痛みを経験したことのない人が残って上に行くのだろう。やべえ会社だぜ。

しかも表面上私はにこにこやっていたから、私の話を聞いた上司は私がそこまで消耗していたとは青天の霹靂でもあっただろう。だって、会社に出て具合悪そうな顔してるなんてかまってちゃんじゃん。そんなことできるかよ恥ずかしい。出てきたら元気にするんだよ。栄養ドリンクとヒプノシスマイクが手放せなかったけどな。現実世界のバフアイテムだ。

 

実際に、ひとつひとつの仕事へのHP・MP消費はすさまじかった。自分でもウケちゃったのは、「これ絶対私には向かない」と思ったけど「大丈夫出来る出来る!」と言われ「まあやらずに判断するのも…」と思い引き受けた仕事がマジで極大ストレスだったことだ。

この仕事の時期になると、長時間座れないほどの腰と背中の激痛に襲われるようになった。姿勢改善、鍼、ストレッチ、様々な健康器具、高級寝具の購入、何でも試した。一時期収まったものの、その仕事の時期になるとやっぱり激痛が走るので明らかに体と魂が拒否していた。

 

他の仕事も、明らかに能力や経験の範囲外のものが多々あったし、主観的判断を求められるものもあった。通常時ならともかく適応障害を抱えながらではさぞつらい内容であった。

さらに辛いのは、どの施策も得心行かないところにあった。「知識のない私がここにいるべきではない」「そもそもこのイベントに意味はあるのか」「イベントの報告書が全部ポジティブだが、同行した他部署からはかなりクレームを聞いた。でもそれが全然反映されていない…」不信感は募っていった。

表面上はこなしているけど、適応障害を悪化させるには十分な環境だった。いろいろあってストレス源に会敵する可能性もあったので、壊玉の五条悟のように、会社にいる間はずっと術式を展開している(緊張状態を維持している)必要もあった。

 

そして一番の問題は、上司の仕事の振り方ではなく、私自身が適応障害を過小評価していたことにある。

適応障害患者にとって、これがめちゃくちゃに悪環境だということが分からなかったのだ。新しい仕事に挑戦する、苦手な仕事に挑戦する、主観的な判断をする、改善点を指摘する。あとストレス源との会敵を常に警戒する。

普通の人にとってのストレスレベル1でも、こっちは見えないだけで全身複雑骨折の心を抱えている。ストレスレベルは10倍になって襲ってくる。普段なら適度のストレスとして処理できたことも、この時の私には無理だったのだ。

 

そしてそれを無理だと思わず、上司にまあ大丈夫ですと伝えていた。これがまずかった。嘘をついていたわけではない。

以前スーパーパワハラ上司(適応障害発症のきっかけ)のもとで、周囲の信頼をガラッガラに崩しながら仕事をしていた時よりずっとマシです!の意であって、正直に受け答えしたつもりであり、私自身が無理に気づいていなかったのだ。今思えば、100℃の地獄の窯から70℃の窯に移っただけで、適温には程遠い。

もっと主治医やカウンセラーに相談していればよかったのだ。というか主治医からは「休んでは?」とだいぶ前から言われていたが断っていたのは私だ。休職すると、その手続きのほうが面倒でしんどい…と思ったからである。そう思う時点で限界だと今はわかる。

カウンセラーからは「抑圧」「自責」が強すぎる傾向にある、「他責」思考にしてもいいのでは、と言われたが、このケースはまあ6:4くらいで私が上司に冒頭の台詞を言わしめたということもなくはないだろう。

 

さらに相性の悪いことに、もし異世界転生したら私の得意魔法は拘束魔法だろうと思うくらい私は私をガッチモリモリに縛ることが得意だ。工場で「5S」の考え方に触れた時、トヨタの片付けの本を読んだとき、知的障がいの子供の療育について読んだとき、「仕組みを作れば、人はできるようになる」という知見を得た。

実際に、まったく片付けができず汚部屋極まれりだった私は、ミニマリストの生活を参考に自分なりの仕組みを作り、現在は散らからない部屋を手に入れた。これは私の人生最大の成功体験だ。

だから、私は私に自身がないが、私の癖を把握してそれを利用した仕組みを作ることで弱点をカバーしてきた。周囲には普通の人として映ったことだろう。ふざけんな。普通になるためにこちとら莫大コストを費やしてんだ。

そしてその縛りを見た人に完璧主義と誤解される。すごい細かいね、すごい仕組みだね(ドン引き)と。違う、これはすごいんじゃなくて、あなたには必要がないことだ。私がみんなと同じ目線でいるために必要な仕組みだ。口を出さんといてください。上司には、なんて無駄なことをする完璧主義者だろうと映ったことだろう。

私たちの間には大きな理解の壁がある。

 

常にスリップダメージの入るバッドステータスのまま働いていた。

良くなるものも悪化する。そのツケを今払っている。勉強代は、数百万円に上る。

傷病手当はあるだけマシだが税金と家賃でゼロになる。貯金切り崩し生活の辛さのダブルパンチだ。