どういうことだ説明しろ蟹木!

メンタルダウン療養記

「なんでもやります」の弊害

なんでもやります!

新人に求められる言葉として有名かもしれないが、これの弊害を抱えてにっちもさっちもいかなくなっているのがわたくし蟹木である。

 

 

すべての原因は「バッドステータスで無理をした」で片づけられるかもしれない。

しかしながら、メンタルダウンからの休職を複数回経験した私のHP・MPは、デラさんの本によればめちゃくちゃ減りやすくなっている。

それを踏まえて、今後は消耗戦は避けなければならない。生きるために。

 

なんとなく、仕事は断らないものだと思っていた。

なぜなら苦手なことや未経験のことでも成長のために挑戦しなければならないし、良くない態度をとって仕事が回ってこなくなったら終わりだからだ。

 

数年前、初回のうつからの復職直後は、「うつで休職した奴」に対する水面下差別はものすごいだろうと内心覚悟していた。

道徳的に言えば、もしくは医療的にとも言えるかもしれないが、うつなど病気を経験した人に対して差別をするなどもってのほかだ。人の心とかないんかと禪院直哉くんも言うだろう。

ただ、全員が都合よく道徳的なわけがない。私は最悪を想定し、周囲からの信頼はゼロどころかマイナスである、と仮定して出社した。小さな仕事でも全力で取り組んだ。周囲の信頼を得るために。

幸い親切な上司や先輩に恵まれて、少しずつ新たな仕事を覚え、ほんの少しずつ信頼を獲得していった。小さな組織で、結構見守り型だったのと、カラッとした専門知識が深くコミュ強な先輩がいたのも心強かった。

 

その時の選択は間違っていないと今も思う。覚悟を決めて必死だった。育ててくれる先輩たちにも恵まれていた。異動先も誰がどう動いてくれたのか知らないが、私の適性を見てくれたのではないかと思う。

 

ところが、ところがだ。

組織変更で出向した先では違った。

こんなにひどい人がいるのかと驚くほどのパワハラからの適応障害、異動、その先での全く適性のない仕事。適性のなさは以前の私なら努力でカバーしただろうが、そんな暇はなかった。家に帰ればなんとかシャワーを浴びて倒れるように寝るだけの毎日。寝ると言っても不眠症なので寝られなかった。寝不足はチューハイ2本飲んだ状態と同じと聞く。コーヒーと栄養ドリンクでしのぐ日々。

文字で書いてみるとひどいな。

 

私が私の病状の深刻さをもっと正確に捉えられれば良かったのだが、

適応障害を抱えて働いている状態でも私はイエスマンだった。いやノーマンだったこともあるが、「大丈夫できるよ蟹木さんきっちりしてるから。」

結局受けてしまった。きっちりしてる人が無理と言っているのだから深刻な無理だと気付いてほしかった。私にも相手にも。

そうして苦手ジャンルの仕事を受けていた結果、気付けば手元には苦手な仕事ばかりが残り、消耗戦を戦う羽目になった。完全に負けイベだ。休職前の数日は気を抜いたら今にも倒れ込む、と思うのを気力だけで耐えていた。

 

こうして考えると、私の長所は仕組み化や整理、それをできる努力だったのだな。

適応障害によってそれをできる余裕がなくなった結果、苦手はずっと苦手のまま。

苦手なことは元気な時にやることだ。努力できないというのは警告だ。

 

ただ、これを契機にもっと消耗しない職種に転向することはできる。

自己分析を深めていって、苦手ではない仕事に就きたいものだ。