どういうことだ説明しろ蟹木!

メンタルダウン療養記

Twitterが欲しいわけじゃない

早朝覚醒が全然よくならない。

居眠りとぼーっとするのを繰り返して午前中の時間は消えていく。

でもまあそうしてでも体を休めるための休職だしな。仕方ないか。

呪いの城から帰還したんだから。命があるだけ儲けもの。弊社の新入社員にはマジでご愁傷様以外かける言葉がないわ。早く逃げなね。

 

 

長らく使ってきたXを徐々にフェードアウトする決意をした。

なんというか、ここ数年は非常に住み心地が悪いのだ。

金と、詐欺と、投資と、広告と、ゾンビと、揚げ足取りと、ゴシップ。治安の悪いアメリカの路地裏?

そこにたまに紛れているガラス玉をいいねする。

 

 

20年くらい前、インターネット黎明期。

インターネット使用人口は少なく、特定のSNSであれば猶更だった。

ツイッターは同じ趣味の友達が欲しくて始めた。リアルでは好きな漫画を語れる友達や絵を描く友達がおらず、交流を求めツイッターにやってきた。友達が出来て、界隈が界隈だけに同年代の同性が多く、オフ会や旅行も頻繁にして全国を飛び回った。オンでもオフでも楽しかった。

 

当時のやり取りは、かなり気楽なものだった。

学校の教室の後ろの方で固まっているオタクグループのような居心地の良さがあった。

私たちはルールを守って、「公式」と絡まないとか、隠語を使うとか、様々マナーを徹底していた。日陰者の使う遊び場で心地よかった。

 

 

それがいつからだろうか、SNSは公共の場になった。

有名人・企業の進出とともに、ツイッターの低年齢化・層の広がりが激しくなる。

当たり前だが、母数が増えると色んな人がやってくる。

友達に語り掛けただけの言葉が、見ず知らずの人に吊り上げられ、意図と違うところでまとめられたり批判されたりする。赤の他人の演説の踏み台にされたりする。

一言一言を、慎重にツイートするようになり、楽しさは激減したどころか、緊張して気を配るようになった。

 

絵ですら、ちょっとバズれば揚げ足取りにつかまる。「あなたのために言いますけどこの楽器のここが間違っています」と引用RTしてきたお前を私は許していないからな。間違いがあったのは事実で認める。だが、信頼の成立している相手ならまだしも、だれだてめーは。自由帳に描いている絵を取り上げられて正確性を批判される筋合いはない。仕事で描いているならまだしも。

一番卑劣に感じたのは、引用RTして「あなたのために」と言っていること。叱る時はこっそりって習わなかったか。私の間違いを踏み台に、自分の楽器愛を身内にちやほやされたいだけじゃねーか。本当に私のためならDMでそっと言ってくるはずだ。正直に言いなよ。その違和感が気に食わない。本当に私のためを思ったやり方なら、こんなに頭に来りはしない。自分だけ本性を取り繕って、対戦指名しておきながらお前だけ安全な観客席から弥次飛ばすなんてあんまりじゃん?リングに上がってこいよ!という気持ちだった。私は個人だが、どうもバズると「個人性」が薄れるようだ。彼女はバズツイというものに一言申し上げ、主張を簡便に広げたかったのだろう。

 

 

当然黙ってブロックだが、そこから2年ほどまともに絵を描かなかった。うんざりしたのだ。

こんな例は可愛いもので、X全体で言ったらもっと様々なことがあっただろう。

匿名の遊び場は、モラルを装った何かの濁流によって、まったく現実世界になってしまった。

 

 

ではROMはどうかというと、ROMすらまともにできる場所ではなくなった。

面白い漫画やツイートを読んで、他の人の感想を見たくてタップすれば、湧きかえる人語ゾンビ。そこはもう、感想を言い合うBBSではなくなっている。

商業利用は悪ではないが、いまやXは経費ゼロの広告媒体だ。誰かが自分の何かを買ってくれと、声高に叫んでいて、心地が悪い。それが悪いことではないのだが、フォロワーのツイートよりも広告が出てくる率がずっと多い。商業となれば、金銭のやり取り、アフターサービス、それに伴う責任の諸々。どこかで誰かの業務が発生する。嫌悪感の正体はそこにある。自分だって社会人だったからわかるけど。買ってくださいの宣伝は、度を超すと押し売りや詐欺に化ける。まさに中学校に貝木泥舟がおまじないを売りに来て荒らしていったというアンバランスさに似ている。

 

 

私が欲しいのはTwitterじゃない。イーロンマジックでもしもゾンビが淘汰されたとて、大きくなりすぎたXは、同じ趣味の人とつながって、現実を忘れて語って遊ぶ場所には二度と戻れないだろう。私が欲しいのはそれなのに。

それを求めて、お絵かきBBSの時代から、ブログを経て、Twitterに流れ着いたのだ。

今や、いろんな人が、いろんな目的でXを使いすぎていて、このSNSはもはやただの現実のコピーだ。

 

 

中途半端に、マーケット関連の仕事をしていたからだろうか。

なんだか、すべてのサービスが「買ってください」の押し売りに聞こえてやまない。これは私側の問題だが。耳当たりなめらかな言葉で、かわいいフォントでイラストで、どうにかこうにか買わせようと。騙されて、丸め込まれてすらいるようだ。気を張っていなければ、私なんてすぐ流される。

サービスっていうのはそういうものだ、売上出さなきゃ意味がないと、まともなマーケターは言うかもしれない。

でも、そうじゃなくて。買い物に行きたいときは量販店に行くし、店員さんにも話しかけるから。公園には遊びに来たのに、そこで貝木泥舟に商売してほしくない。私はXのことを公園だと思っていたのに、もうそうじゃないらしい。私のほうが、デパートに来て「遊具がない!」って騒いでる変人みたいじゃないか。

 

 

だから、私は次の公園を探して彷徨う。

 

 

いわゆる「若い世代」は、SNSは生まれた時から身近なものだろう。

私たちみたいに、思春期に突然降ってきた異世界ではないのだ。

だからみんな本名で顔出しして学校名も書いちゃう。信じられない。怖くないのか。

彼らと私では、SNSに求めるものが違うのだろう。彼らにとっては、多分現実の延長にSNSがある。私にとっては匿名の異世界。名前を変えて、顔を隠したまま遊ぶ、現実では成立しない趣味や感情を解き放てる純粋な遊びの場だ。

容姿も立場も年齢も関係なく、匿名で、たまたま同じ趣味の人が集まって遊ぶ。顔と名前を明かすのは仲良くなってから。それの楽しさが、気軽さが、私は好きだ。

 

 

でも、そういう場所はどんどん消えていっている。森林みたいだななんか。