どういうことだ説明しろ蟹木!

メンタルダウン療養記

「生きる意味なんてない」

という本を半分読んで積んでいる。

なんか納得しすぎてしまって、一気に読むには刺激が強い気がしている。

反ワクの話が出てきたところだけはオッ…と思ったけど、納得するところだけ吸収すればいっか、と読み進めた。

メンタルダウン的には、目からうろこの考え方がいろいろと載っていた。少しずつ読み進めたい。

 

 

ミニマリストを目指し始めて早2年くらい。たぶん。

全然ミニマリストとは言えないが、それでも当初よりはかなり物が減ったと思う。

 

元々掃除が嫌いで片付けも苦手。でも汚い部屋に住みたいわけじゃない。それで、トヨタの片付けの本から、フランス人が10着しか服を持たない本、ミニマリストの本、動画、とたどり着き、めったなことでは散らからない且つ掃除はロボ任せの部屋の仕組みを作り上げた。地味に人生最大の成功体験だ。

Xで「ミニマリストADHDがきれいな部屋を保つ最終手段」というポストが流れてきて、そ、そうかも~~~~~~!!!!と思った。私の診断は確定ではないけど、WAISの結果などから何かしらの軽度な何かがありそうとは思っている。

 

オタクなので、マンガは大体目に付けばジャンル問わずに読む。

何かで読んだ記憶があるのだが、知的障がいのある子どもの療育で、いろいろと仕組みを工夫することで時間割を守ったり片付けができるようになるという。

それは私にはものすごい衝撃で、仕組みの素晴らしさを知った。もともと仕事で工場に行く機会がたまにあり、5Sの取り組みや、社員の机が引き出しの中までばっちり整頓されていることに感動していた。「誰でもできるようにする」工夫があふれていて、なんて素晴らしいんだろうと思った。そうしないと仕事にならんとかISOとか労災防止と言われればそれまでだが、私みたいなポンコツでもできる仕組みは救いに見えた。

 

 

そこで必ず思い出すのが、小学生の頃のモヤっとする思い出だ。

小学3年生の時、50代の女性教員が担任だった。

彼女は整理整頓が苦手な私と他のクラスメイトの引き出しを無理やり取り出すと、教卓の前に投げるようにぶちまけて怒った。

別の日には、忘れ物が多いクラスメイトをつるし上げ、「OOくんが名札を忘れないようにするにはどうしたらいいと思いますか?みんなで意見を発表してください」と言った。

また、私は小さいころから絵を描くのが好きだった。ある時図工の時間に描いた絵が、学年で何枚か選出され、廊下に掲示された。私の絵もそこにあった。教師は授業の一環で、ひとつひとつの絵の良いところについて解説したが、私の分だけ飛ばされた。クラスメイトが無垢に「先生、その絵は~?」と聞くと「ああ、これはまあ、ね…」と濁した。特に教わっていない技法を工夫して使ったので、多分それが気に食わなかったのだろう。

 

 

6年間のうち、3年間は担当教員に嫌われていた気がする。偶然だがどちらも50代女性教諭だった。なんとなく陰湿な逆ひいきが私に対してあった記憶がある。友達はいたが教師には嫌われるとは珍しい気がする。

しかし、そこでダメージを受けた反応をしたり、傷ついた様子を見せると相手の思うつぼだと思い、私は平気な顔をし続けた。

「荒らしは無視」のいにしえのインターネット精神を、私はパソコンに触れる前から身に着けていたといえよう。生粋のパソコンくんだ。ここまでくると逆に誇らしい。

それに、今は知らないが、平成当時は少なくとも教室の王は教師だった。王に逆らうものはいなかった。自分の命が危うくなるからだ。しかし、プロイセンのフリードリヒ王のような優秀な王もいれば、愚かな王もいる。そればっかりはガチャだろう。

教師には教師の言い分があるだろうが、匿名ラジオで恐山さんの「図工の嫌~な先生」のエピソードを聞いた時、ひとりじゃなかったんだな~と何となく思うと同時に、「教師から児童への悪意は存在する」とも認識できた。

 

 

ちょっと話がそれたが、大人になってミニマリズムや工場の5Sを知った私は、あの時の机の引き出しを教卓前にぶちまけた教師の行動はマジで間違いだと思う。

クラスメイトの忘れ物癖をクラス全員の前でつるし上げたのも。

怒ってできるならとっくにやっている。今更不思議なのは、国語や算数はやり方を習ってからテストをするし、掃除や配膳も同様だ。しかし整理整頓の仕方は特に習わない。できない子がいても不思議ではないだろう。彼らは自分に合ったやり方を知らないだけだ。あの時教師がすべきだったのは、怒鳴りつけたりつるし上げることではなくて、何が原因なのかを推察し、方法を提案し教えることだったのではないか。それもできなかったら、また別の方法を考えればいい。

吊し上げについては一見仕組みを考えているようにみえるが、「褒めるときは人の前で、叱る時はこっそりと」って社会人になると常識だが学校教育では違うのか?そもそもクラスメイト達に提案させただけであって、教師は何もしていない。つるし上げられた彼の気持ちはどれだけ所在なかったことだろう。

 

 

当時は倫理もモラルも状況も何もかも今とは違う。教師が生きているかも知らない。

でも、あの時のもやもやに対して、20年後のモラルを獲得した私が代弁したくてたまらないのだ。私は片づけられるようになった、仕組みによって。お前の指導は間違っていると。教師だって万能ではないだろうが、あの時の違和感ををずっと覚えている。

 

 

カウンセリングを受けていると、なぜか小学生のときのエピソードがしばしば出てくる。置き忘れてきた私がいるのかもしれない。

 

 

一方で、中学の担任教師は私にとって聖人のようであった。

30代半ばの理科の男性教師。好き嫌いは生徒によって異なったようだが、少なくとも私にとっては良い先生だった。

一番私に衝撃を残したのは、バスで社会科見学に移動するときのことだった。

クラスメイトに乗り物酔いのひどい男子生徒がひとりいて、先生と隣り合って一番前の席に乗っていた。小学生の時からよくバスの中で酔っていて、「よく吐く子」と周りからも認識されていた気がする。大体、酔いたくて酔っているわけがないし、本人が一番つらいだろう。周りが迷惑と思う以上に、本人は罪悪感がひどいだろう。身体も心も踏んだり蹴ったりだ。

 

そんな時、案の定具合の悪そうなその子に先生が言った。

「大丈夫だぞ、俺吐かせるの得意だから。」

少し離れた席でその言葉を聞いた私は衝撃を受けた。吐いていいんだ。吐きたくて吐けない時って辛い。それを、吐いていいどころか、吐かせるのが得意だというのだ。後始末も介抱もするということが暗に含まれている。そしてそれをクラスに聞こえるように言う。

嘔吐はなんとなく汚いと子供たちは思うものだが、本人が一番つらいこと、生理現象が悪ではないこと、自分の手を汚すのを全く何でもないということ、それをクラスに刷り込むこと、そして本人を少しでも安堵させること。すごい。この人は先生なんだと思った。

 

教師としてはよくあることで、普通のことかもしれない。業務の範疇かもしれない。

でもそんな言葉がすっと出る人が何人いるだろうか。

すくなくとも、6年間の小学校生活ではそんな場面見たことがなかった。その時、私は初めて「先生」を信頼した。

その先生は自分も大病を患いながら仕事をしていたので、人より優しかったのかもしれない。

 

 

先生には担任として3年間、また顧問としてもお世話になった。

なお、「蟹木はいつか騙されそう」と予言したのもその先生だ。

先生ならこの状況どうするだろう。

もう連絡先もわからないが、めちゃくちゃ嫌な小学校教師の記憶をトリガーに、彼のことを思い出すことが出来た。生徒と向き合い、優しかったひとりの先生を。

 

 

その後大学生になって武道を始めて、様々な道徳教育を受け、先生のような優しさを少し実践できるようになった。

しかし20歳以降洗脳されたり搾取されたり疎まれたり悪意を受けたりと色々あった。人にやさしくすると付け込まれる。丸腰でいると死角から攻撃を受ける。都会の人は誰かが倒れていても近づかない。今は私も全警戒で歩くようになってしまった。

強くないと優しくなることはできないのだと分かった。

強さとは、武道的な戦闘力であり、知力でもあり、人を見る目でもあり。

ただ普通に万人に優しくすることがとても難しい。