どういうことだ説明しろ蟹木!

メンタルダウン療養記

ひとりになる時間

最近ちょっと頑張りすぎかもしれない。

体力に、いや違うな、気力にか。ものを言わせてきたんだなあと思う。

前は頑張りすぎていることすら気付かなかったので、これはこれで進歩だ。

 

 

最近の体調は正直であると思う。

早朝覚醒するくせに、昼間眠たい時間が増えた。

 

最近ハマったマンガがあって、もともと同人女の私はイラストの生産に勤しむ日々を送っている。友人との推し被りもあり、語り合うこともしばしばだ。イラストもそれなりに気に入ってくれる人が増え、なかなか楽しい日々である。

先日、1日2枚絵を描いて、「使い果たした」感覚があった。その日の夜は自炊をあきらめて、久々にウーバーを頼んだ。

 

私は前々から、何かにハマったり危機的状況になると、「気力で何とかする」傾向にあった。周囲の人がそうではないと知って、計画性の高さに恐れおののいたこともある。

 

同人原稿をやっていた時は、寝食削るのが当たり前。緩かった時代は1週間で20ページ以上を描き上げ、イベント当日の早朝にキンコーズに駆け込んだこともあった。

別にそれは苦痛ではなかった。むしろ、アドレナリンが出まくっている。快楽なのだ。危ないお薬はこんな感じなのかもしれない。知らんけど。コーヒーもエナドリもなしに、連日一夜漬けで原稿と向かい合う毎日。集中して没頭する没入感、不可能を可能にしていく快感、自分の好きなことだけでいいから他人の目なんて気にせず突っ走れる疾走感。原稿作業のすべてがお気に入りだった。こんな娯楽は他にない。

ただし、魂を削る感覚があるので、愛がなければできないことだ。

 

 

そんな基準で生きていたので、まあ当時は今思えば会社のモラハラセクハラなどからの逃避もあったのだけど、自分が認識している「上限値」が多分本当の上限値を超えている。

 

 

没入も、絵が思い通りに出来上がっていく感覚も、枚数を重ねるごとに上達する実感も。すべてが快楽だ。これを止めるのは至難の業だ。

それを、最近ちょっと無理をしすぎたかもしれない。

私はまず誤解している上限値を正しく認識する必要があると思う。今のお前は睡眠障害で、心理的な大けがのあとだ。どれだけ楽しかろうと、全身複雑骨折の患者にトライアスロン出場をすすめる医師も理学療法士もいないだろう。

 

 

占星術の鑑定で言われたのは、「放っておくと他人軸に寄ってしまう」ということ(星の並びがそう)。「自分を大事にするのが、どういうことなのか、具体的にわからないんです」というと、先生は少し考えた後「他人より自分を優先することですかね」と言った。ははーなるほど。わかりやすい。

仕事ってさ、他人を優先することばかりじゃない?そうじゃない人もいるのかな。私だけだろうか。人間関係もブランクが空けば空くほど、他人軸になっていく。その人の欲しそうな言葉は、今この時正しい言葉は。好きな友人の前でそんなことを考えている自分が昔嫌だった。

学生時代にいろんなことのリーダーを務めてきたけど、リーダーってあれだ、多少自分軸なんだと思う。「みんなが寝ないような司会をしよう」とか、「尊敬するチームメンバーが活動しやすい環境づくりを私がしよう」とか、「せっかく興味を持って入ってくれた子たちに楽しんでほしい」とか。他人軸だけど自分軸。そしてそういう時は、なんだかうまく回っていた。

同人活動も、友人関係も、気さくに巻き込まれてくれる人たちに恵まれて楽しかった。そこに同調圧力や写実警察なんかが出てくると、とたんに全部が嫌になってしまう。私は私と周囲のために、自分軸である必要があるのかもしれない。

 

 

上限値の話に戻るけど、私の場合どんなに疲れていたところで、「でも楽しいからやりたい!!!!!!!」という一心や、「描きたい!!!!!(描かなきゃ)」という一心で、簡単に体調に盲目になる。アドレナリンのレバーを全開にし、こころゆくまで楽しむのだ。心の栄養と体の栄養は別のところにあるのだろうか。脳の希望を優先して、身体にはずいぶん無理を強いてきたのかも。

 

 

今日は大変冷静に、外出時に3つの用事をしようと思ったが、1つだけにして帰った。正解だったと思う。イラストにも手を付けていない。冷静に考えて、体力が残っていないからだ。気楽に休むことが出来た。

 

 

カウンセリングの初期に、全能感を感じたことはありますかと聞かれて、笑ってしまった。子供の頃からそんなこと一度たりともないですと。今はあったなと思う。創作の時だ。私は別に漫画もイラストもうまいわけではないが、実現不可能な納期を可能にしたときなどに、梨汁のごとくアドレナリンと全能感でいっぱいだったと思う。

 

この大好きな没入と、体調と、観測と。どう向き合っていくのかが課題だ。