どういうことだ説明しろ蟹木!

メンタルダウン療養記

睡眠時ストレスの値が

ちょっとだけ下がった。

 

Garminスマートデバイスをつけて24時間生活している。

「自分の体調に鈍いらしい」ことがカウンセリングでわかり、勧められて以来装着。

どのデバイスがいいか精査に2か月くらい要した。適応障害に新規の物事の判断は難易度爆高なんだなと改めて実感した。よく直前まで働いてたな。

 

ストレスを24時間観測してくれるデバイス

今まで「疲れたなら眠ればいい」は常識だと思っていたが、「睡眠時ストレス」の値が低くないと体力が回復しないと知った。それか。起きた瞬間から疲れてるやつの正体。

その数値がこの1か月くらいすこぶる悪い。

 

 

正常値は15平均以下。それが50や40になっている。

ミニマリスト見習いを2年続けているので、寝室含め部屋は片付いている方だ。

食事はリズム・内容ともにガタガタなことも多いが、そんなの今さらだ。数値が落ちる前から割とガタガタだった。

入浴はほぼ毎日湯船に浸かって汗もかいている。

思い当たることと言えば、薬を変えた時期や、ブログを始めた時期、調子が悪くなって外出行動を控え始めて時期と、数値が落ち始めた時期が被る。こっちが原因か?でも要因が多すぎてどれが真因か比べられない。

 

 

ところが、今朝突然数値は20台を示した。29だけど。

理想値の15には程遠いし、早朝覚醒してるし、なぜか早朝覚醒のあとの惰眠でストレス値が下がったんだけど、久々に20台。ほっとしたし嬉しかった。

原因は何だ?

 

 

思い当たるのは「ジャンケットバンク」である。

ジャンプ系で連載されているマンガで、面白いらしいと知り昨日からジャンプ+というアプリで読み始めた。

これがめちゃくちゃ面白い。ギャンブルもので、私の大好きだったドラマライアーゲームや、漫画アクマゲームを彷彿とさせる読後感。私はアホなのでルールや勝利条件は雰囲気で読んだりしてしまう部分もあるのだが、キャラは魅力的だし、どんでん返しやキャラが絶望したときのゲルニカ然とした顔も癖になる。

100話以上あり、1日では読み切れないため、キリのいいところまで読んで寝た。

久しぶりに、「明日の楽しみ」が出来たのだ。

 

幼少からマンガ好きで、今もマンガ・アニメオタクだが、なかなか(自分の好みに合致するという意味で)超面白いと思える作品に出会える機会は多くない。宝探しでレアな宝石を掘り当てたような気持ちになる。

明日が楽しみだという気持ちはストレスを減らすのだろうか。今は最新に追いついてしまうのがもったいなく感じる。

 

 

幼稚園の頃に「ちゃお」を与えられ、小学1年生になるとなぜか親からいきなり「小学3年生」を与えられた。親がBOOK OFFでよく中古漫画も買ってきたのでスポーツ漫画をよく読んだ。野球・相撲・剣道・柔道のルールはマンガで覚えた。

自我が芽生えだすと「りぼん」「月刊少年ジャンプ」「ガンガン」「ヤングガンガン」と進み、様々なアプリも経由して今に至る。

なんというか線フェチで、線一本一本がどのくらいの力でどうひかれたのだろう、なんて美しいんだろう、といつも思う。一番好きな線のマンガは土塚理弘先生の「マテリアル・パズル」1章と、ゴツボマサル先生作品全般だ。完全に好みの話だが、詳細な絵柄も好きだけど、最小限の線で表現された絵に高揚する。

 

 

オタク特有の早口文章で話がそれたが、ずっとマンガが傍らにある人生だった。

高校生の時は本屋でジャケ買いするのが好きだった。

今はアプリで気軽に買えて出会いが多い分、厳選や読み返しの機会が減ってしまったなあと思う。気軽に消費できすぎる。もっともっと、何度も読み返して味わう読書がしたい。ほとんどの作家さんがデジタル作画になったのも線フェチとしては少し寂しく、15年前くらいからひそやかに嘆いている。私は筆圧を感じたい。圧倒的に作画効率がいいのはわかってはいる。贅沢な嘆きだ。

 

 

ADHD疑いが十分にあり得るWAIS結果を持つ私だが、後付けにはなるものの、昔から漫画には没頭できた。没入する。他のことを何も考えない。好きな漫画を読み終えた時、潜水から顔を出したような気持になる。日常に戻り、途端にいろんなことを考えはじめる。それだけに没入できる漫画は、あちこちぶれる脳を休ませるのに最適な役割を担っていたのかもしれない。

 

同じような理屈で、スポーツの好みもそうだった。長距離走ロードバイク(タイヤのほっそい自転車)。この二つはのめり込んでいた時期がある。

長距離走の時は音楽を聴く。ただただ、音楽に合わせ足を動かす。何も考えなくなる。

ロードバイクは、平坦な道で限界速度に挑むのが好きだった。昔ライドイベントに出た時、格上の男性の後ろについて40キロ超えで走った時のことは忘れがたい。何も考えなくなる。ただただ、食らいつくことだけ。必死にこぐだけ。何も考えなくなる。

 

適応障害ではなかった頃の健康な自分の思考をあまり思い出せないが、周りからは一貫して「まじめ」「完璧主義」「ストイック」と言われてきた。いかにもうつになりそうな三拍子が揃っている。多分元来ネガティブでもあっただろう。思い付きで行動することも多く、思考があちこち飛んでいる。会社で働ける真人間であるために、仕組みでそれを縛り付ける。

そんな私が何も考えず没入する時間。それが、漫画であり、長距離走であり、ロードバイクであった。これらは私の人生に必要なものなのかもしれない。

 

最初にうつになった後ロードバイクとランニングはやめてしまったし、せめてもと思い通っていたホットヨガもコロナが流行った時に辞めた。今の体力は小学生以下だと思う。もしかしてだから気力でカバーしちゃうのか?悪循環じゃないか。

思えばホットヨガも(暑いのが)辛すぎて何も考えなくていいものの一つだったかも。潔癖症がひどくなったので、ジム系に再び通うのは難しいだろう。

抗うつ薬を飲み、日常生活すらままならない今ロードバイクに乗るのは自殺でもあり他殺の可能性もはらんだ行為だろう。治ったらメンテして乗りたい。「使わないものは置くな」がミニマリストの定石だが、苦楽をともにしたロードは手放せないでいた。

 

 

考えない時間を作ることが出来ないなら、お得意の仕組み化をすればいいじゃないか。ワクワクするマンガ、それか何も考えないでいられるスポーツ。

やっぱりまずは安全かつ低体力でも乗れるママチャリを買うか。悩みどころだ。

 

 

「明日を楽しみにできること」がストレス減のキーかと思って書き始めたが、意外な結論にたどり着いた。

「脳を使わない時間を作ること」。私は余計なことを考えすぎるのだ。体力がなければ気力でカバーするのもきっと拍車をかけてよろしくない。筋肉の分は筋肉で担当するほうがいいんだろうな。

ただ広場恐怖症が邪魔する範囲が広すぎる。具合悪くなったら逃げ出せない状況が無理という恐怖症。私の場合具体的にはすぐトイレや病院に行ける環境じゃないと怖いんだ。「吐いて倒れた」がトラウマだからだ。だから見知らぬ土地に体力だよりで長距離移動する長距離走もロードも今の自分とは相性が良いとは言えない。

出なくていいならマジで家から出たくない。これを治すのが、適応障害治療の次にやることだろうか。

暴露療法ってうつ系のメンタルと相性悪そうだよなあ。

 

 

でも、明日を楽しみにできただけでもすごいじゃないか。

ここ数年、そんなことあったか?

会社に行きたくない、いやだいやだの毎日だっただろう。最近では自分には明日が来るということに罪悪感を持つ始末だった。

私は一歩ずつだ。獅子神さん(ジャンケットバンク)もそう言っていた。