どういうことだ説明しろ蟹木!

メンタルダウン療養記

フォーリンラッ ドゥーインラッ

意外と愛と恩に生きているのでは。

休職中の無限の時の中でいろいろ考えて出てきたひとつの解である。

水星座が一個もないくせに。

 

 

私は恨みも恩も平等に根に持つタイプだ。

傷つけられたことは忘れず許すことはないし、様々な恩義についてはいつでもその方たちのお役に立ちたいと考えている。

 

 

新人の頃の話をちょっとする。

大学時代いろいろあって、当時私のメンタルは希死念慮発生レベルのやばい場所にいた。

希死念慮とは厄介なもので、私は一度行動に起こす未遂をしたのだが、一度そのラインを踏み越えてしまうと常に行動の選択肢に「死」が入り込んでくる。

そんな状態の私を採用した人事部には感謝とともに見る目がねえ~とも思っているし、面接でわかることなんてなんもないのかもなとも思っている。就活RTAで最初に受かったところに入って爆速で終えた。当時の私には散り散りになりそうな心を無意識に守る生存戦略だったが、今思えばそんな状態で就活すんなと思う。10年単位で後悔するぞ。

 

ともかく私としては「まちがって採用されてしまった」感が強く、自分への自信は地の底にあったので、この会社に捨てられたら終わる、二度と再就職なんてできないと本気で思っていた。

そのため「正しくある」ことに重きを置いて行動し、必死に生きていたものの、めちゃくちゃ扱いづらい新人だったと思う。当時の先輩や上司にはごめんと思う。私にセクハラとイビリを働いた2名を除いてな。「正しくあれば、それに相対する人がいればそっちが悪になるだろ」という私なりの限界自己防衛だった。

あとめちゃくちゃ失礼な同期に「優等生過ぎて人間ぽくなくてつまらない」と言われたのは未だに根に持っている。お前のために生きてねえんだわ。こいつは初対面の同期ほぼ全員に失礼発言をかましており(年上の女性除く)、それが彼なりの人間関係選別術なのかは知らないが、看過できね~と今も思っている。自分勝手が過ぎるだろ。嫌われる勇気は傷つける元気じゃないだろ。ちなみにそのハードルを越えてきた数名とは仲良くしていた。

 

脱線したけど、そういう経緯で就活RTAかました私は、文系なのにド理系の会社に入った。

プロダクトについてはゼロからの勉強だ。

全然興味が持てず、さらには知覚推理とワーキングメモリーの低さも災いし、3年経たずにうつになった。もちろん大学からの積み重ねとか多様なセクハラやイビリも原因のひとつであろうが、自分が自分たちの事業に納得できないことが一番辛かったと思う。

なお私の学歴だけ聞いて「優秀な新人が来るらしいからつぶしてやる」と言って微妙な嫌がらせをしていた先輩、本当に一生許すわけがない。よくみろ、そいつは落ちこぼれだよその大学の中でも。思い込みで嫌がらせの決意をするな。

そして入社して割とすぐに気が付いたのは、「理系職の人たちのいる場所に私は一生到達できない」ということだった。知識とか技術とかもあるけれど、彼らは熱量が段違いだったからだ。私にそれはないんだ。すでに就活RTAしたことを後悔し始めており、明らかにブラックだったアニメ系の広告会社に入ったほうが良かったのかなと思い始めていた。

 

しかしながら、プロダクトを作っている現場に行くことが復職後増えた。

そこで、プロダクトや技術の難しいことについてはさっぱりわからないものの、現場の方たちや研修職の方たちが辛抱強く私にいろいろなことを教えてくださった。こんなポンコツにわざわざ時間を割いて、正真正銘の素人質問に嫌な顔をせず答えてくれる。

また、現場でどれだけ議論を重ねてプロダクトを作っているかも知った。

難しいことはわからないし、相変わらずプロダクト自体に興味はないのだが、「この素晴らしい人たちが作っているものは素晴らしいに違いない」という思いが強くなった。

恩義と尊敬と愛である。

ポンコツなりに周囲の協力と見守りを得ながら勉強に勉強と実践に実践を重ね、トライ&エラー&エラーを繰り返し、なんとか独り立ちすることができたのである。

 

同期や先輩からの嫌がらせ等しく、私はこの時の恩を忘れない。

この時、ポンコツの私を受け入れ辛抱強く教えてくれた方たちに、現場で手を止めて協力してくれた方たちに、業務の手を止めて快く日程を調整してくれた方たちに。

彼らへの敬愛をガソリンに、恩返しのために、私はずっと頑張っていた。

プロダクトにも会社にも大した思い入れはないけれど、彼らの作るプロダクトのことはよく敬愛しよく勉強した。挫折した大学の専攻も使わざるを得ず、泣きながら吐きながら頑張った。弊害として、競合プロダクトは全然興味を持てなかった。なぜなら深く敬愛するポイントがないからである。

 

意外と愛と恩の人間なのだ。気付いた時は意外だったが、まあ私美男高校地球防衛部LOVEめっちゃ好きだしな。(愛と温泉がテーマのアニメ)

 

そもそもだ。

すべての間違いの始まりは、中学時代のとあるイベントにある。

とある教科の県だか市だかの大会の学校代表に選出された。別にこの教科を特別好きではなかったが、塾に行っていたので成績は良かったというだけだ。そう、会社と同じで興味はなかったのだ。

ところが、練習中、まさかまさかの担当教諭に恋をするというイレギュラーが起きた。

このご時世センシティブな話題ではあるが、当時倫理などよくわからない中学生の私でも本能的に心得ていた。「私は先生を愛しているが、もし先生が私を好きだと言ったら拒否するだろう。中学生に惚れる先生なんて、私の愛する先生じゃないから」と。

最終的に正しい倫理観だが、そこはかとないマキマさんを感じる思想である。

 

じゃあどうすんだというところで、愛する先生が幸せであってほしいと願った。

私程度に貢献できることはあるだろうか。先生の幸せに。そう考えて私が出した結論は「良い生徒」になることだった。「良い生徒」が嫌な先生はいないだろうから。

大会で結果は残せなかったが、直後の試験で学年一位になったり、中学生ながら英検準二級に受かったり、日報を英語で毎日書いて担任を困らせるなど私は勉強や日々の学校活動に注力していった。自分でもここまでできるんだ、と笑ってしまった。

興味のないことは永久に先延ばしにするのだが、この時は「先生の幸せへの貢献」が興味の対象であったため、爆裂集中力を発揮していた。やっぱりなんかの発達あるんじゃないですかね、ねえWAISさん。

夢は先生のために命を投げ出すことだったが、ついぞかなうことはなかった。

なおこの気持ちは墓場まで持っていくつもりでいたのだが、駄々洩れだったようで親友と担任には多分バレていた。

 

しかし、先生は中学の先生である。

私は高校生、そして大学生にならなければならなかった。

先生のいない環境で、「良い生徒」でいる必要もモチベもなくなったものの、のこったのは「その教科が他の教科よりちょっとだけ得意」という状態だった。先生は本当に優秀な先生だと思う。私の土壌を作ったのは先生の指導なのだ。

大学の進路選択の時、その教科の道か、物心ついたころから好きだった絵の道に進むか迷った。しかし、「第一志望ってやつに人生で一度くらい受かってみるか~」という浅~いモチベーションで爆裂集中力に火がついてしまい、間違って無謀な大学に受かってしまったのである。

 

大学生になって待っていたのは絶望だった。

高校までのお勉強なんて、何の役にも立たなかったのだ。

勉強に全くついて行けず、先生に教えてもらった発音をたまに褒められるくらいで、私は早々に躓き、以後挫折を幾度となく繰り返した。

大学とはその名の通り、その分野に興味があって学びたい人が集うところだ。ところが私と言ったらどうだ。「先生が好き」「第一志望に受かってみたい」。教科それ自体には、まったく興味がなかったのである。

 

教授のお情けで何とか卒業はできたものの、もうこりごりだ~!と子供向けアニメのベタなオチになるくらいにはもうその教科には触れたくなかった。

そのつもりで入った就活RTAこと弊社も、私の履歴書で判断してくる。やめて、本当にできないんです。落ちこぼれだったんです。

 

私は不可能を可能にする爆裂集中力を持っている。

過集中ともいえるし、火事場のバカ力ともいえるね。没頭しているときは私自身も気持ちがいいので、没頭できる対象を探し続ける人生でもある。

ただし、発動条件には「敬愛」や「恩義」が必要なのだと気付いた。

 

今の会社には「不信」と「諦め」と「絶望」しかない。

なぜなら、私が敬愛し恩義がある人たちを見下し、その健康や幸せや安全よりも売り上げや自部門の利益、政治的なしがらみを追求するからだ。社員の精神を病ませることよりも政治的なあなあを重視する。私もそれに染まりたくはない。盾になろうとしたところで無理だった、無茶だった、無駄だった。だから辞める。

 

愛するジャンルに、転職することが出来るだろうか。