どういうことだ説明しろ蟹木!

メンタルダウン療養記

私のための微妙な語学

ちょっと調子のいい時に、ポルトガルとイタリアに行きたいという発想がふと出てきた。行ったことないから。

自分でも意外だった。広場恐怖症なのに。

ざっくりいうと広場恐怖症は逃げられない場所が超怖いという症状。新幹線で体調崩して、駅についてからぶっ倒れて運ばれて入院したのをきっかけに発症した。

学生時代はひとりで海外も多々行っていたけど、全くダメになってしまった。学生の頃はタフだったのではなく、世間知らずの怖いもの知らずだっただけである。

仕事で致し方なく海外に行くときは、本当にキツかった。往路はとにかく一睡もできなくなってしまった。学生の時は離陸前から爆睡してたのに。

 

 

長年ただのトラウマだと思っていたけど、医者のフォロワー(すごい)に「それ広場恐怖では?」と言われて精神科でついでに相談したところ本当にそうだった。

カウンセラーからは、「その症状単体で治療に来る人もいるレベルですよ」と言われた。

私の140字からあたりをつけたフォロワーが名医過ぎる。

 

ただ、怖いもの知らずで危うかったとはいえ、若い時にいろいろ行ってよかったとは思う。鉄は熱いうちに打てだ。広場恐怖症を発症するなんて思わなかったし、多分もう一生心から安心して旅行はできないだろう。混んでる映画館すらダメなのに。

健康な頃は、ホステル16人部屋とかに20代女一人で泊まったりしていた。よく無事だったな。でも学生時代は周りもみんなそんな感じだったからな… 変に観光客らしいほうが危ないんだろう。警戒心のなさと身軽さで半端に溶け込んでいたのかもしれない。

 

 

知らない場所は新しくて未知で楽しい。月射手座の本質だ。

仕事でも何度か国内の地方赴任を打診されたことがあるけど、住んだことのある土地だったので断ってしまった。全く知らない土地だったら赴任したかもしれない。

赴任は一応年数を提示されるけど、その通りに帰ってきた人を見たことがないし。

 

 

月射手座だからかADHDの疑いがあるからかはわからないが、雷に打たれたように何かにハマったり、本当に「そうだ京都いこう」くらいの思い付きのノリで海外に飛び出したりするので自分でも自分の行動に予想がつかない。今は絡み合う精神疾患でそれはなりを潜めているけど。

今は都会に住んでいるけど、都会は思い付きの味方だ。ググってできないことがほとんどない。かといって自然へのアクセスも欲しい。思い付きの先が自然のこともあるからだ。「チェロかっけー!」とチェロを習いに行くこともあれば、「乗馬ってかっこよくない!?」と乗馬に行くこともあった。そういう意味で、前に住んでいた街は都会と田舎の境目ですっごく気に入っていたんだけど。

でもその大好きな街も「昔住んでいた街」だ。今の私には新しくなくて、戻っていいと言われたら戻るかどうかはわからない。でも結構戻りたい。治安悪いけど。

 

 

ちなみに、広場恐怖症の治療は「暴露療法」といって、乱暴に言えば「段階的に慣らす」しかないらしい。いやすぎる。

何度も繰り返すことで、「ほら、蟹木が心配してるようなことは起こらないでしょ」と刷り込むらしいのだが、その宝くじみたいな確率を過去に引いたからどんだけ慣らしても「でも百万回よくても、百万一回目がダメかもしれないし、それが今日かもしれない」と常に思う気がする。ネガティブドリカム。どうなんだろ。

 

 

だいぶ話がそれたけど、ポルトガルやイタリアに行ってみたいと思ったのはヘタリアの影響だ。音楽をランダム再生していたらロマーノ版のはたふってパレードが流れてきて、やっぱロマーノっていいよなあと思ったのだ。

昔からの領主であるスペインには早々に行った。(※ヘタリアファンは自分の推しを領主と呼ぶ)

昔の私ならこの時点で航空券を検索していただろう。本来はそういう人間だったのだ。精神疾患は私の足に根を生やす。

そういえば、昔の原動力は「これ気になる!」「やってみたい!」「好き!」だった気がする。今は「これやんないと面倒なことになる」「これやんないと怖い」ばっかりだ。病気か、弊社生活での呪いか、それとも人並みに危機感が育ったからか。

 

 

それで、昔の私がなぜ気軽に海外に飛んでいたかというと、英語が少し話せたからだ。

お金はないので、ツアーは組まない。海外の航空会社を使い、全部自分で検索して交通機関と宿を抑える。カバンの中に地球の歩き方。荷物の出待ちがタイムロスで嫌だから、バックパックに荷物を詰め込んで時間短縮していた。このへんのことが、英語ができるというだけでクリアできたのだ。

そう、このころは、私は私のために語学を使っていたし、不完全でもそんなに困ることはなく、楽しく旅行をしていた。一人の時もあれば、私より英語のできる友達と二人のこともあった。

なぜ話せたかと言えばそういう大学に行っていたからという他ないが、私はとんでもなく落ちこぼれで、TOEICの点数なんて口が裂けても言えない。周囲は900点越えが当たり前という化け物揃いだった。私が早々に挫折しただけなのだけれど、最低限はできないと生きていけない環境だったし、まあなんとかお情け卒業させてもらえるくらいには語学を使っていた。ぜつてーに語学を活かす就活はしないとだけ決めていたが。

それに、今よりは辛くなかった。

落ちこぼれでも、落ちこぼれることに、責任はなかったからだ。

 

 

ところが、国内企業に就職してしばらくすると、語学仕事を振られるようになっていった。

語学力を呪術廻戦に例えよう。母校の卒業生の平均が1級術師。ネイティブレベルで900点越えの化け物たち。対してお情け卒業落ちこぼれのワイ将、術師になれない補助監督官。私にとっては、物語序盤の「1年生が特級案件に派遣された」状態がずっと続くことになる。

冗談抜きで泣きながら吐きながらだった。もう語学なんてやるかと思って就職したのに、履歴書とは残酷だ。特級でも補助監督でも母校の名前を書かなければならない。そして私の話よりもみんな履歴書を信じる。「言うて喋れるんでしょ?」「またまたあ、ペラペラでしょ」っていう人、全員人の心とかないんか、である。ほんとに。謙遜してると思われている。見せてやろうかこのできなさを。

 

でも必死だった。なぜなら少人数の部署で、私以外にその仕事をする平社員がいなかったのだ。やらねばならぬ、やらねばならぬ。必死で足掻いた。トライ&エラー&エラー&エラー&エラー。何度も心折られた。学生時代以上の挫折の日々。その仕事の前は必ず移動の車に酔って具合が悪くなった。舞台に立ったら演じねばならぬ。聞き取れなくても、必死に聞き返したり繰り返したり。相手もゆっくり話してくれる。こんな私を、使えねえなと言うどころか、いつも見守って教えてくれた当時の上司達には頭が上がらない。何という忍耐力だろうか。

 

この仕事は何年か続いた。4年くらいして、やっとのことで「少し上手になったかも」という実感があった。その後、いろいろあって弊社くんに出向となった。

弊社くんの人たちもその仕事をしている私を過去に見ていた。喋れる奴と勘違いされていた。それは私のあらゆる挫折と周囲のあらゆる忍耐の上にやっと成り立った、「そのジャンルのことだけは何とか喋れる」状態であって、オールジャンルの雑談ができるわけではない。

例えば同じ日本語でも、文学部が突然医学書を渡されて理解しろと言われてできるか。無理だろう。それと同じだ。勉強したことしか私はできない。何でもは喋れないわよ、知ってることだけ。マジで。ところが、仕事内容がガラッと変わったにもかかわらず、「いうてペラペラでしょ?」が始まった。今度は孤立無援である。求められるレベルも上がった。体当たり語学ではもう許されない。そこが私の限界なのに。

野球を練習したら、草野球の頭数にはなれるかもしれないが、全員が大谷翔平にはなれるはずもない。そういうことなんだ。正直この語学は、親の方針で物心つく前からやっていて、全然好きになれず挫折重ねて30年でこのレベルだ。もう頑張るの辞めても許されたいよ。

 

 

それで、私は全く別の専門性を身に着けたいと思った。

専門学校やスクールを様々探した。私が好きになれそうなものを。泣きながら吐きながらしなくてもしなくてもいいくらいには、抵抗がないものを。

でも、ポルトガルとイタリアに行きたいと思ったときに、昔のことを思い出した。旅行するとき、私の補助監督官並みの半端な語学はすべて私のものだった。間違えても聞き取れなくても焦らなくてよかったし、誰かに何かのレベルを求められることもない。TOEICの点数が恥さらしでも、友達が全員化け物でも、泣いたり吐いたりしなかった。旅に出るとき、いつも心は希望と期待に満ちていた。何なら半分自信みたいに、お守りみたいに作用していた。

すべて私のものだったのに、いつの間にか、給与をもらう「責任」に変貌していた。

 

 

気が付けば、また化け物の中に放り込まれていた。

周囲の語学力と出身校は本当に学歴ありきの採用なんだなと思うラインナップ。

今度は「お情け卒業」はない。自分からしない限り。

転職したい意思は固まっている。

同時に別の専門性を身に着けて、履歴書を上書いて、語学も完全に手放したいと思っていた。私にとって学歴も語学ももはや呪いだ。別の覚悟を示さない限り、一生ついて回る。「いうて喋れるんでしょ(=呪術高専を卒業した呪術師なんでしょ)」と言われて突然外国人の前に放り出されるのだ。受けたが最後、どんどん手元に語学の仕事が回ってくる。私は補助監督官なんだってばという訴えは聞き入れてはもらえない。早く進化してAI。

 

ただ補助監督官並みの半端な力を、自分のためだけにならひっそりと使ってもいいのではないだろうか。これは私のものなのだから。

これでも、間違いながら、泣きながら吐きながら、向かないことを30年も頑張ったのだから。

仕事では絶対に使いたくないけど。